細川忠興に関する城

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宮津城(京都府)
丹後国の国を与えられた細川忠興の父・藤高が築城を開始。
本能寺の変に伴い出家し、幽斎と名を改めため父に代わり細川忠興が城主となる。(幽斎は田辺城に隠居)

関ヶ原の戦い後、豊前国に転封した細川家の代わりに京極高知が丹後国12万3千石を拝領し入封した。

杵築城(大分県)
1586年の豊薩戦争では木付鎮直が籠城し豊臣勢の加勢により名門「島津家」の侵略を退ける。主君の大友義統が文禄の役での失態の責めを負って秀吉により幽閉されると、木付氏も自刃した。その後、いくどか城主を変え、丹後宮津城主であった細川忠興が飛び地として所領を与えられる。

九州の関ヶ原と言われる「石垣原の戦い」の舞台となった(1600年)。

中津城(大分県)
今治城、高松城とともに日本三大水城のひとつに数えられる。
1588年秀吉に豊後を与えられた官兵衛が築城を開始。

黒田家が関ケ原の戦いの功により筑前が与えられると、細川忠興が入封し改修し城郭が拡張された。

小倉城(福岡県)
細川忠興が関ヶ原の戦いの功により豊前国を与えられると初め中津城に入城するが、7年かけて毛利氏の小倉城を改築し、居城とした。
天守は最上階が下層をよりも飛び出した全国的にも珍しい南蛮造りと言われる造りになっている。

細川家が肥後国に移ると、譜代大名として播磨国から小笠原忠真が入城する。

熊本城(熊本県)
賤ヶ岳の七本槍のひとり加藤清正が築城。豊臣秀頼の万が一に備え迎え入れることも視野に入れ築かれた大城郭。
清正が朝鮮出兵での経験をいかし籠城戦の工夫が多くみられる。
加藤家が改易されると豊前小倉城主だった細川忠興の子・忠利が城主となり、以後細川家が明治維新まで城主をつとめた。
西南戦争の際に西郷隆盛が落とせなかった名城である。
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