カテゴリー別アーカイブ: 城・歴史

蒲生氏郷に関わる城

日野城

蒲生氏郷の祖父・定秀が築城。蒲生氏が織田信長の臣下となり、本能寺の際は、蒲生氏郷とその父・賢秀とは織田信長の妻妾一族をこの城に迎え入れた。氏郷が伊勢に移った後は田中吉政、長束正家が入り、関ヶ原の戦い以降廃城となった。

松阪城
100名城の一つ(48番)。
伊勢を与えられた蒲生氏郷が松ヶ島城に変わる城として築城を開始。

城の北側を流れる阪内川を天然の堀として利用している。現在は石垣のみが残る。

会津若松城
会津若松城
盛岡城、白河小峰城とともに東北の石垣造りの三大名城。
秀吉の奥州仕置の後、蒲生氏郷が入城。

幕末の戊辰戦争では会津藩と新政府軍の激しい戦いが繰り広げられたが堅牢ぶりをみせつけ新政府軍に最後まで抵抗した。別名「鶴ヶ城」。

二本松城
二本松城_15
欧州仕置の後蒲生氏郷が与えられ改修を行った。
戊辰戦争の舞台となり圧倒的な戦力の差に敗戦を覚悟しながらも果敢に戦い散っていった二本松少年隊の悲劇の話が残る。

天守台はあるが天守を建てられた記録はない。

宇都宮城
日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用されていた。
小田原征伐の後に奥州の大名らが宇都宮城に参城し豊臣秀吉に謁見した。しばらくは宇都宮氏が所領を安堵されるも改易され、後に蒲生氏郷の嫡男・秀行が入封した。
戊辰戦争の戦地となり城下町共々ほぼ焼失した。現在では富士見櫓が木造で復元されている。

戊辰戦争で戦地となった城

二本松城二本松城_15
欧州仕置の後蒲生氏郷が与えられ改修を行った。
戊辰戦争の舞台となり圧倒的な戦力の差に敗戦を覚悟しながらも果敢に戦い散っていった二本松少年隊の悲劇の話が残る。

天守台はあるが天守を建てられた記録はない。

白河小峰城

白河小峰s日本100名城の1つ(13番)で丹羽長秀の子・丹羽長重が築城。
東北の石垣造りの三大名城。
戊辰戦争の際に激戦地となり、3重櫓を焼失。現在の櫓は平成3年に木造復元された。

会津若松城
会津若松城

盛岡城、白河小峰城とともに東北の石垣造りの三大名城。
秀吉の奥州仕置の後、蒲生氏郷が入城。
幕末の戊辰戦争では会津藩と新政府軍の激しい戦いが繰り広げられたが堅牢ぶりをみせつけ新政府軍に最後まで抵抗した。別名「鶴ヶ城」。

長岡城
もともとは上杉領。上杉氏が陸奥会津に移動すると徳川家康の6男松平忠輝が越後に入封し、長岡城の前身である蔵王堂城はその属領となった。
松平忠輝の次に入封した堀直寄が蔵王堂城が信濃川に面して洪水に弱いことから、信濃川からやや離れた場所に長岡城を築き城下町を移した。
戊辰戦争では激戦地となり城郭、城下とともにほぼ焼失した。

宇都宮城
日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用されていた。
小田原征伐の後に奥州の大名らが宇都宮城に参城し豊臣秀吉に謁見した。しばらくは宇都宮氏が所領を安堵されるも改易され、後に蒲生氏郷の嫡男・秀行が入封した。
戊辰戦争の戦地となり城下町共々ほぼ焼失した。現在では富士見櫓が木造で復元されている。

愛媛県の訪れたい歴史スポット

松山城
賤ヶ岳の七本槍のひとり「加藤嘉明」が朝鮮出兵での経験を活かし築城。石垣が山に対して垂直に築かれた側面からの侵入を防ぐ「登り石垣」が見られ、これは全国でも他彦根城、洲本城でしか見られない珍しい造りである。
現在残る天守は1852年に建てられたもので現存12天守の一つに数えられる。

また姫路城と同じように天守は櫓と渡り櫓で繋がれ桝形を形成する連立式天守である。

今治城
高松城、中津城と共に日本三大水城に数えられ、堀には海水が流れ込む。

築城の名人「藤堂高虎」により築城。初の層塔型天守と言われている初代の天守は高虎転封と共に解体され丹波亀山城に移された。

大洲城

天守は明治時代に取り壊しとなったが、付属する高欄櫓、台所櫓は解体を免れいずれも重要文化財に指定。天守は写真やひな形をもとに平成16年に木造復元された。背後を流れる肱川を利用し、自然の要害をなしている。

宇和島城

築城の名人「藤堂高虎」が広陵に築いたことから始まる。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、名人高虎ならではの工夫が見られる。そののち伊達政宗の息子の秀宗が入り幕末まで藩主をつとめた。

湯築城
河野氏によって築かれた。秀吉の四国平定の際に小早川隆景や福島正紀らが一度入城したのち廃城となった。今では武家屋敷、堀が復元され遠くの山に松山城を見ることができる。

高知城をプレゼンする

現存12天守
全国に12しかない江戸時代から残る天守のひとつ。現在の天守は1747年に再建された2代目天守(1代目の天守は火事により焼失)。

石落としの周りに備え付けられた忍び返しと呼ばれる鉄串は名古屋城や熊本城でも見られるがこれは再建されたもので現存するのは高知城のみ。shikake

天守の特徴

四重五階の望楼型天守で望楼部の最上階は巡り縁で囲われており、外に出ることができる。また天守は地形を利用して建てられており、他の城と異なり天守台がない。

名門山内家の居城

関ケ原の戦いののち土佐班藩主となった山内家は幕末まで藩主をつとめた。15代将軍山内容堂は松平春嶽、伊達宗城、島津斉彬とともに幕末の四賢侯に数えられ、江戸幕府の終わりから明治維新にかけ重要な役割をになった。

本丸が完存(御殿が現存)
本丸が完存するのは高知城のみ。また現存する御殿は天守とつながっており、雨にかかることなく行き来ができるようになっている。

他に御殿が残るのは二条城、川越城、掛川城のみ。

日本三大夜城
四季折々に花回廊やお城祭りなど、夜景観光に対するおもてなしが評価され大阪城、高田城(新潟県)とともに日本三大夜城にも選ばれた。(2014年11月)この選考は「夜景鑑定士」の投票をもとに行われた。

福島県の訪れたい歴史スポット

二本松城

二本松城_15
欧州仕置の後蒲生氏郷が与えられ改修を行った。
戊辰戦争の舞台となり圧倒的な戦力の差に敗戦を覚悟しながらも果敢に戦い散っていった二本松少年隊の悲劇の話が残る。
天守台はあるが天守を建てられた記録はない。

白河小峰城

白河小峰s日本100名城の1つ(13番)で丹羽長秀の子・丹羽長重が築城。
東北の石垣造りの三大名城。
戊辰戦争の際に激戦地となり、3重櫓を焼失。現在の櫓は平成3年に木造復元された。

会津若松城

会津若松城
盛岡城、白河小峰城とともに東北の石垣造りの三大名城。
秀吉の奥州仕置の後、蒲生氏郷が入城。
幕末の戊辰戦争では会津藩と新政府軍の激しい戦いが繰り広げられたが堅牢ぶりをみせつけ新政府軍に最後まで抵抗した。別名「鶴ヶ城」。

神指城

関ヶ原の戦いで上杉景勝が急遽築城するもこの工事が家康に上杉征伐の口実を与えることとなり、会津征伐が間近に迫ったことから工事は中止。竣工を見ずして廃城となった。

小手森城
伊達政宗が小浜城(大内氏)攻略する際、その支城であった小手森城を攻撃した。
この戦いでは女、子供、動物に関係なく城内にいた全てが殺害された可能性があり、「小手森城の撫で切り」と呼ばれ語り継がれることとなり、周辺の大名を震え上がらせる出来事となった。

姫路城をプレゼンする

平成の大工事を経て生まれ変わった姫路城をプレゼンします。

天守唯一の世界遺産

城は一番多い時期には4万もの数が存在していたと言われますが、その中でも江戸時代から残る現存天守が12城。その中でも国宝が姫路城、松本城、犬山城、彦根城、松江城の5城。そして姫路城はその中でも唯一の世界遺産として登録されている。これは法隆寺とともに日本初の世界遺産登録となった。天守はないが二条城の御殿も世界遺産に登録されている。

現存する天守の中で最も大きい
天守の高さが31.5m(天守台除く)で現存する天守の中でも最も大きく、また和歌山城、松山城とともに日本三大連立の一つである。
参考(天守台を除く)
大阪城 37.5m
松本城 29.4m
松江城 22.43m
白過ぎ城
平成21年から行われた今年27年7月まで行われた城の修理で真っ白になった。
もともと白鷺城(しらさぎ)と別名があった姫路城はあまりの白さに白過ぎ城(しろすぎ)と呼ばれた。

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さまざまな紋を見ることができる
姫路城は関ケ原のたたかいの後、池田輝政が与えられ、その後も本多、松平、榊原、酒井と城主が変わっているため、様々な紋の瓦があり、その名残を見ることができる。

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現存する門
姫路城は天守に到達するために多くの門があり、またそれらが現存しており15もの門が重要文化財に指定されている。

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戦禍をまぬがれた天守

明治維新後も破却を免れた城は姫路城のほかいくつかあり戦争までは現存20天守と言われていました。しかし、城は軍事施設になっていたことや大きく目立ち街のシンボルとなっていたため精神的なダメージを与える目的から空爆のターゲットになりました。もちろん姫路城もターゲットとなりました。しかし、姫路城の天守の屋根をつき破り落とされた爆弾は運よく不発弾でした。結果二度の空襲を受けた姫路城だったが当時の姿を今も残している。

何百年も前の人と同じ景色を共有できるのがお城の魅力ですね。これからも後世に伝えていきたい、日本の誇るべき文化です。