黒田官兵衛に関するお城

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姫路城(兵庫県)

黒田氏が小寺政職の家臣であった時に居城としていた。(その時は今ほど立派な城郭ではなかった)秀吉の中国攻めの際にいち早く織田勢の躍進を見抜いた黒田官兵衛から秀吉に献上されそのまま仕えることとなった。国宝五城の一つであり天守唯一の世界遺産。現存する天守の中でももっとも高い。天守に到達するまでにいくつも門があり、その多くが現存し重要文化財に指定されている。関ケ原の戦いの後、池田輝政が入城し、その後も本多、松平、榊原、酒井と城主が変わっているため、様々な門を見ることができる。

名護屋城(佐賀県)

朝鮮出兵の拠点として築かれた城。縄張りを黒田官兵衛が設計したとされる。
周囲には全国から終結した諸大名の陣屋が130以上並びその賑わいは「京をもしのぐ」と言われた。
文禄慶長の役が終わると廃城となり、建物の多くは解体され、唐津城築城に転用されたとされる。

福岡城(福岡城)
関ケ原の戦いの功により筑前を与えられた黒田親子が築城を開始。
福岡城の名前は黒田家ゆかりの備前邑久群福岡にちなみ名付けられ、明治維新まで黒田家の居城として領内支配を行った。

現在、城跡には門・櫓が現存し、多聞櫓とそれに続く二の丸南隅櫓は国の重要文化財に指定されている。

中津城(大分県)
今治城、高松城とともに日本三大水城のひとつに数えられる。
1588年秀吉に豊後を与えられた官兵衛が築城を開始。

黒田家が関ケ原の戦いの功により筑前が与えられると、細川忠興が入封し改修し城郭が拡張された。

国府山城(兵庫県)
別名「妻鹿城」。標高102mの甲山に築かれる。
官兵衛の父職隆が姫路城から移り居城としていた。官兵衛も秀吉に姫路城を献上した後に移り居城とした。

kokoku3

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